南フランスプロバンスにある、世界遺産のル・トロネ修道院へ行ってきました。
☆世界遺産トロネ修道院
南フランスにある、世界遺産のル・トロネ修道院は、カトリック教会シトー派の修道院で、ロマネスク様式を代表する建築としても有名です。
祈りと労働をモットーとしていた修道士達は、修道院の中で、自家製ワインを酒造し、畑で農作物を自家栽培し、自給自足の生活をしていました。
又、村人達にも、農業を教えに行っていたそうです。
六角形の洗手礼場
修道士たちが手を洗ったり、ヒゲを沿ったり、洗濯したりと、日常生活に使っていた場所です。
何処からでも入れるように、合理的に作られていました。
数々の建築家を魅了し、近代建築の巨匠コルビュジェも又この建築に魅了されたは一人だったそうです。
石を組み合わせただけの、装飾を一切省いた簡素で美しい建築様式は、ル・コルビジェの合理的でシンプルで美しい建築へ、受け継がれていったのだと思いました。
世界遺産・トロネ修道院へ行ったあと、マルセイユのサント・マリー・ド・ラ・メールという港町へ行きました。
☆サント・マリー・ド・ラ・メール
サント・マリー・ド・ラ・メールとは、『海の聖なるマリア達』という意味です。
キリストが磔刑にされた後、難を逃れた三人のマリア達が、海を渡って流れついたのが、ここ、サント・マリー・ド・ラ・メールという港町なのです。
その時一緒にいた、従者サラがこの拝所に祀られていて、肌が黒かったため、黒マリア(聖女サラ)の教会と呼ばれています。
☆聖女サラ
聖女サラに関しては、謎が多く、従者だったともいわれ、黒人だったともいわれ、イエスとマグダラのマリアの娘とも言われています。
記憶に新しいのは、大ヒットした映画『ダビンチコ-ド』では、サラは、イエスキリストとマグダラのマリアの娘として描かれていました。
又、ロマの守護神と呼ばれ、毎年5月24日前後、10月22日前後に、この教会から聖女サラの像を海まで運ぶ祭りがあり、多くのロマが集まります。
質素な祭壇には、優しい光が差し込んでいました。
☆再びサント・マクシマンの町へ
サント・ボームの洞窟、トロネ・修道院、聖女サラの教会を訪れた後、再び、サント・マクシマンの町へ戻って来ました。
マルセイユ2日目は、このサント・マクシマンにある Le Couvent Rovalというホテルに宿泊しました。
このホテルは、最初に訪れた サント・マリー・マドレーヌ大聖堂(マグダラのマリアの教会)に隣接している、石造りのとても古いホテルです。
このホテルは、もともと教会の修道院を改装したホテルだそうで、そこにいると、まるで、自分が中世にタイムスリップしてしまったような感じがする不思議なホテルでした。
お部屋の中も当時の石造りのままで、素朴でシンプルな趣きのあるお部屋でした。
真紅のベルベットのカーテンが美しかったです。
窓からは、教会の広間が見えました。
lavabo(仏語で洗面台)は優しい色合いのタイル張りで可愛かったです。
建物も当時のままで、石造りの回廊のアーチが美しかったです。
ただ、こちらのホテルには、クーラーが無くて、部屋に大きな扇風機が一台あるだけでした…。
どうなるのかと思っていましたが、日中は暑くても、夜は乾燥していて、気温も下がる為、扇風機でも大丈夫でした。
その日のディナーはサンマクシマンの町のレストランで食事をしました。
フランスではよく、鴨の料理がでてきました。
(料理の量が半端なく一切れがやっとでした)
コーヒーゼリーのような味
サッパリしてお口直しにgoodな味でした。
南フランスの料理は、美味しかったです^_^。
この日の夜は、ライブコンサートのようなものが開催されていて、沢山の人が入っていきました。
又、音が教会の外まで聞こえて、とても賑やかでした。
町の人達にとって親しまれ愛されている教会だと思いました。
南フランス3日目🇫🇷
朝食はホテルの食堂で食べました。

ホテル内の回廊を歩いて食堂へ
建物も当時のままで、石造りの回廊のアーチが美しかったです。

食堂内
広々とした食堂です。ここも当時のままの石造りのアーチが見られます。
もともと修道院だった建物を改装したホテルなので、食堂も、教会の中にいるような厳かな気持ちになりました。

朝日が差し込む静かな美しい空間でした。
中世の香りが漂う素敵なホテルでした。
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